DIOが空条家に来たての頃は、傍に近づいただけで目を覚まして警戒していたものだ。
それに比べると、今のなんと無防備なことか。
目の前でうたた寝をする承太郎を眺めながら、DIOは思う。
慣れというのは恐ろしいものだ。適応といっても良いかもしれない。
1週間、2週間、1ヶ月―。
共にいる時間が長くなるほど態度は軟化したし、また知らない一面を知ることもできた。やはり承太郎も17歳の高校生であるのだと感じる出来事もあった。
その寝顔を眺めていると、自然と心持ちが穏やかになる気がする。

――このDIOが。

自嘲めいた笑みが漏れるが、悪い気分ではない。
DIOが承太郎に抱くのは、言葉にしてしまえば陳腐だが、愛情だ。よもやそんな感情を抱くことになろうとは、思っていなかったが。
いつからそんな風になったかはほとんど覚えていない。気付けばそうだったというだけのものだ。大抵の物事はそういう風になるべくしてなる。
自覚してしまえば、あとは相手もそうなるように仕向けるだけだった。そして実際、事はDIOの思う通りに運んでいる。承太郎が心身ともにDIOのものになるのは、時間の問題というところまで来た。彼は頑なに認めようとしないし、そもそも自覚が薄いというのが難点ではあったが。

だが、彼は本当にこのままDIOの手に堕ちて来るだろうか。
自分のことを憎んでいるのではないだろうか?
承太郎が自分を憎んでいる――それでも構わないと、DIOは思った。
憎悪は一途に思い続けるという意味においては、愛情と同じものだ。ただそのベクトルが負か正かというだけで。
だから構わない。
ある意味においては愛情よりも憎悪の方が、相手を想う気持ちとしては強いものだろう。それほどまでに想われるというのは、悪くない。

ならば嫌悪は抱いているだろうか。
しかし、それでも別段の思いは湧かない。むしろそういう人間は好ましいとさえ思う。
無駄に愛情や思慕、尊崇の念を抱く者ほど、DIOには興味が湧かない。元々誰かを信頼・信用する、という行為が出来ないたちなのだ。そういった感情を自分に抱く者には、必ず疑念が付いてまとった。自分を狂信していた者に対して信頼出来た、というのは恐らくヴァニラ・アイスくらいのものであろう。
エジプトや、DIOが初めて空条家に来た頃は、承太郎もDIOにはっきりと嫌悪を示していたものだ。だからこそ彼を気に入ったというのもあるのだが。

例えば、どういった感情を承太郎が抱くならば、DIOにとって不都合なのか。
考え思い浮かぶのは感情ではない。それには正も負もない…つまり無関心であることだ。
彼が自分に対して無関心であったなら、恐らくDIOは今のようにはいられなかっだろう。
敵意を持って殺しに掛かりさえしたと思う。
幸か不幸か――承太郎はDIOに対して実に様々な感情を示したのだけれど。
だからこそ、承太郎は自分のものになりつつあるのだし、DIOだって彼に敵意や憎悪を抱く気にならないのだ。

眠る承太郎の目元にかかる前髪を払ってやる。起きるかと思ったが、承太郎は眠ったままだ。
意外なほどに寝入ってしまっているらしい。いつもむき出しの警戒心などは、どこに置き忘れてきたのか。

首筋に軽く触れると、感じる脈動がある。
愛するものの命を断つ瞬間は、言いようも無いほど幸福だ。100年以上前を思い出し、体が熱くなる。
愛するものの死とその血肉は、何よりも美味だ。
流れるこの命を断ち切ってしまいたい、激しい衝動に駆られた。

――目を覚ませ、承太郎。



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起きてくれなきゃ殺しちゃうよ