今日はバレンタインデー。
一体誰の陰謀か、この日はチョコレートに思いを乗せて多くの人々が惑う。

迷彩服に身を包んだ一人の男が辞令書を片手に廊下を歩いていた。
彼は傭兵部隊の隊長である。辞令書は次の作戦について記されていた。
大した内容でもないそれに息をつくと、見計らったように後ろから声がかかった。

「隊長! 疲れてるんスか? これあげますよ!」
「…マルスか。何だ、これは?」
「チョコっスね。」
「……折角だ、もらっておこう。」

小さな四角い包みを受け取ると、部下のマルスは嬉しそうに笑った。
まだ配属されて日が浅いせいか、陰鬱とした雰囲気とはほど遠い。
自分にもそんな頃があったかな…と、つい詮無いことを思ってしまった。

マルスと別れて部屋に戻る道すがら、同じ傭兵部隊のスタティウスとアルクマイオンに捕まった。
今日はやけに部下の方から接触がある。

「隊長、これアゲるよ☆」
「俺もやるよ。」

二人から手渡されたのは、形や大きさは違うが、またもやチョコだった。

「…さっきマルスからももらったのだが。出回っているのか?」

聞くと、二人は揃って頷いた。
スタティウスはちゃんと食べてね、と艶やかに微笑んで言い残し、武器庫へと消えていった。
アルクマイオンはそういう日なんスよ、とだけ言って笑った。

そしてまた部下二人と別れて、廊下を歩く。3つの小さなチョコは迷彩服のポケットに入れてあった。
アルクマイオンの「そういう日」という言葉に、一体今日はどんな日なのかと首を傾げていると、通り過ぎた曲がり角から声をかけられる。
そちらに目を向けると、目をせわしなく動かす巨躯の男がひっそりと佇んでいた。

「ブリアレオスか。何かあったのか?」
「たたたた隊長、こ、これ、ageるね。」
「ん……?」

受け取ると、またもやチョコである。しかもハート型だった。

「…なぁ、ブリアレオス。菓子を渡すのに何か意味があるのか?」
「た、隊長は、ききき今日がなんの日か、知らない、い?」
「ああ。今日は何かあるのか?」
「ウハwwwオkkkk ひひ秘密!」

珍しく楽しそうに笑ったかと思えば、廊下の向こうに消えていく。
ハート形のチョコを片手に、謎は深まるばかりだった。

そしてようやく、自分の部屋に戻ってくる。
が、部屋の前に部下の三人がたむろしていた。

「なんだ、みんな俺に何か用があるのか?」
「やっと帰って来られましたか、隊長。これを受け取って下さい。
日頃の感謝を込めて。」

柔和な顔をした初老の男が微笑んで差し出したのは、やはりチョコだった。

「スピンクス…お前もか…。」
「おや、もう皆さんからもらったのですか?」
「お前たち以外にはな。」
「おっと、後れを取っちまったな。あいよ、隊長。」

そう言って部下のミノスが投げて寄越したのもチョコである。
礼を言いながら、ちらりと残りの一人を見る。
神経質そうな顔立ちのリカオンが、無言で手を差し出す。

「……ありがとう。」

困ったように笑うと、三人は満足そうな顔をして散って行った。
恐らく武器の手入れだとか、食堂だとかに行ったのだろう。
そして、ようやく部屋の中に入ると、ソファに腰掛けていた男が軽く手を挙げた。
それに頷き返し、辞令書を机の上に放り出す。

「グリュプス…皆からチョコレートをもらったんだが。」

戸惑うように言うと、グリュプスと呼ばれた男は鼻で笑った。

「今日はそういう日だからな。」
「アルクマイオンも言っていたが、そういう日と言うのは一体何なんだ。」

グリュプスが僅かに目を見開く。
駐屯地内で多くの者が少しばかり浮かれている日だというのに。

「知らないのか。フフフ…。私からも渡しておこうか。」
「あ、ああ。ありがとう…。俺もみんなに渡した方が良いんだろうか…?」
「いや、今日はお前がもらう日なんだよ。」

手渡しながら言う。

「…というと?」
「来月の同じ日に、お返しと称してお前も何か渡せば良いんだ。」

グリュプスの言葉に、合点が言ったように頷く。

「なるほど…そうだったのか。皆それをあてにしているわけだな…。」

実際のところ、今日が何の日なのかという質問にグリュプスは全く答えていないのだが。
男はそんなことは頭から消えてしまったらしく、8人分のお返しか…と眉間に皺を寄せている。
そんな彼を横目で見ながら、グリュプスはため息をつく。
自分も含め、部隊の人間はこの隊長をよく信頼しているだろう。問題児だらけなのによくまとめあげている。
しかし中にはどうも、それ以上の感情も持ち合わせている奴もいるらしかった。
そんなことは2月14日と言う今日だけでも明らかだ。
血も涙も無い傭兵のくせに、と自嘲をこめて笑う。

「……まぁ俺も含めて連中が欲しいのは――だろうが……。」
「何か言ったか? グリュプス」
「いいや、何も…。お前も大変だな。」

グリュプスの無責任な発言に、男は柄にもなく微笑む。
机の上には8個のチョコが転がっていた。



Happy Valentine's Day!